時代背景
伊達藩の統治下には、水運交通の拠点に位置する「奥州最大の米の集積港」
として
全国的に知られた交易都市であり、明治時代から金華山沖漁場を背景に漁業のまちとして
栄えていた石巻。
東京オリンピック開催に伴う、いわゆる「オリンピック景気」
により日本経済は著しい成長を
遂げ、石巻市の人口が9万人を突破した昭和39年に、石巻青年会議所は設立された。
設立への動き
日本に青年会議所運動が始まってから既に16年が経過。当時県内では、仙台・
古川に
青年会議所が設立されており、石巻においては数年来仙台JC(後のスポンサーJC)より
働きかけがあったのだが設立まではいたってなかった。
しかしながら石巻高校の同窓会、
鰐陵会の商工部会や水産部会などの話し合いでは
「年輩者だけがまちのイニシアティブをとるだけでは発展はない。青年の力を結集しようでは
ないか」ということが言われており、その機運は高まってきた。若い経済人が地域社会の中の
住民意識を結集して、良い意味での政治への問題喚起をしたり、主義主張を青年の中から
引き出すことや、若い人たちの横のつながりもなかったため、これを密にしていこうということも
あり、青年会議所設立への動きが始まったのである。
昭和36年石巻商店会の青年部会のグループの人たちが中心となり石巻商工会議所にて
世話人会を結成。
6月23日に七十七銀行石巻支店にて創立総会を開催し(仮)石巻青年会議所が誕生。
全国219番目、会員数48名、翌昭和40年2月21日に日本青年会議所に正式に加入が
承認され、正式に石巻青年会議所が生まれた。
近代石巻JCの歴史
創設から脈々と受け継がれる「明るい豊かな社会」
の実現を目指す青年会議所の取組み。
時代ごとにその内容は違うが、近年に行われたまちづくりに関する石巻青年会議所の活動を
振り返ってみたいと思う。
1996年
「YAP’96」 (21世紀まちづくり委員会)
石巻圏まちづくりデザイン会議と協同で、
21世紀を担う一般の青年を集い、石巻圏域の
あるべき未来を模索しながら自分たちが今なすべきことの実践に取り組んだ。
(市民映画の製作「明日を変えたい」)
1997年 「対外事業継続に関する提案書」
(渉外委員会)
石巻JCが中心的な役割を担い行ってきた事業、
又会員として参加してきた事業を振返り、
単年度制のJCにおける対外事業の継続と移管を検証した。
1998年 「2010年の石巻圏」提言書作成
(2010ビジョン委員会)
“こころのスタンダードが確立された地域社会の共生に向けて”を主題に、行政・
地域の企業・市民活動団体が自立し、相互に対等の関係でパートナーシップを築きあげて
いくことがまちづくりの第一歩であることを提言した。
1999年 「2010年の地域ビジョン」 提言書作成
(地域ビジョン委員会)
前年の「2010年の石巻圏」提言書を踏まえ、
更に地域の課題を探り、圏域NPO団体の
現状や課題を把握しより多くの市民の声を反映させた提言書を作成した。
1999年 「NPO市民フォーラ夢」 の開催
(まちづくりネットワーク委員会)
住民市民・企業・行政の橋渡し役として、
圏域のNPO団体が円滑に活動を行う為に、
各団体の横の繋がりを作る等、活動の手助けを行った。
2002年 「水辺の賑わいを目指してのコラボレーションに向けて」
提言書作成 (水辺の賑わい創造委員会)
いしのまき癒し系会議 (意見交換会)
我々圏域住民の様々な立場・利害関係を超えて、
知恵を結集して水辺の賑わいを
創造する提言をした。
2003年 「まちづくり戦略会議」 開催
(まちづくり戦略委員会)
活力ある明るい豊かな「いしのまき」の創造に必要な
「自立した個人と社会の公共性の
協和」を基に、目標とする状態とそれに向けての方針、戦略について提言した。
2005年 「公開討論会」 の開催
(あるべき未来創造委員会)
平成17年4月に広域合併を果たした石巻市。
新しい枠組みと仕組みが出来上がった。
この過程において、石巻JCが取り組んだのが、市政討論会(石巻市長選挙にかかる
公開討論会)とローカルマニフェストの推進であった。
また同年、政治へのアクションとして、「衆議院議員選挙に伴う公開討論会」も開催した。
まとめ
前述では、主にまちづくりに関する活動を紹介したが、石巻青年会議所では創設以来、
祭りに関わる事業や青少年育成に関わる事業などその時代時代に合わせ多岐にわたる
事業を行ってきた。
〒986-0822 宮城県石巻市中央3-1-43 木村ビル2F
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